【色彩検定1級1次】色彩と文化〜日本〜
■日本の古代の色■
🗾日本のイロの誕生
まだ文字が使われてなかった頃。
「アカ・クロ・アヲ・シロ」の4色が登場。
これは、光の状態を表す言葉🤩←このかお笑
アカは明るい。クロは暗い。
アヲは漠然。シロは顕か。
これが最初の色彩概念。めちゃ雅で素敵😭❤️
赤は茜(赤根)、青は山藍など、日本にある植物で染めた。
漆に混ぜて塗ったり、布や糸に擦り付けたりして。
魏志倭人伝にも「絳青縑」つまり赤と青の織物の献上があったとの記載あり📜
古事記にも「紅紐之青摺衣服」と書いてあり、これはニホンアカネで染めた赤の紐を肩に垂らした山藍の摺染模様の服🎽のこと。
そのほかにも、木炭の黒。貝殻や石灰の白。
天然の色材に囲まれた日本では、古くから色彩文化が花開いていた🌸
🗾赤色の重視
日本人にとって、赤は重要な色彩だった。
赤の顔料が身近にあったのも理由の一つ。
赤は血や太陽の色を連想させるため🩸古墳や墓などで遺体や棺、壁面に使われたり。
赤には生命や死に関わる、呪術的な意味がある!と考えられているのは、日本の特徴🤔🪄
🗾色彩の受容
豊かな自然環境の日本。
天然の染料、顔料がとれた事で、日本には古代から「赤・青・緑・白・黄・黒・茶色」があったと考えられてる。
6世紀頃、高句麗経由で中国から「彩色紙墨」(絵の具と紙と墨)が伝来。
新しい色材と一緒に、色彩の持つ意味や言葉、分類の概念も伝わった✨
そして同じ頃、朝鮮半島経由で中国から五色(青・赤・白・黒・黄)という考え方が伝わり。陰陽道とも結びついた。
仏教も伝来。絵画や彫刻、伽藍の装飾に、多彩な色彩が施された☺️
🗾色彩文化の国際化
7〜9世紀頃、飛鳥〜平安時代にかけて。
遣唐使を派遣して、文化の吸収に努めた。
唐は多彩な色彩文化ももっていた✨
今も残ってる宝物から、当時の国際性を感じられる☺️
たとえば、マレー半島の蘇芳。朝鮮から間接的に輸入された、希少な薬物。
正倉院宝物の色彩はとても豊か。この朝鮮の蘇芳で染めた木の表面に、南方産の海亀の甲羅や近海産の螺鈿が施されたり。ペルシャの連珠文や、唐風の宝相華文が描かれていたりしてる🐼
🗾服色と位階
冠位十二階の制度は有名よね。飛鳥時代ね。
更に奈良時代の衣服令(えぶくりょう)は、位階に応じた礼服(らいふく)の服色が決まってた。隋や唐の真似っこをしてる。
東洋では紫は希少で高貴。
中国は最初は紫の地位は低かった⤵️が、隋の時代から高位の服色に⤴️
それでも皇帝は赭黄(しゃおう)の袍(上衣)を着てたり、黄色は五色の中心をキープ🐯
こういう制度が入ってきて、日本は真似っこしてたわけだけど。
面倒だったり、礼服を調達するのが困難だったりで、宮中に出仕する男性の衣服もだんだん変化。
礼服➡︎衣冠や束帯へ。
変化が起きる中でも、特定の地位の人しか身につけられない色は禁色として制限され続けた。
👨💼天皇だけが身につけられる黄櫨染(こうろぜん)
👦皇太子の黄丹(おうに)、麴塵(きくじん)
など。
■古代から中近世の日本の色彩■
👘平安時代と色彩の創造
10世紀以降の平安時代。
真似っこスタイルを離れて、後に「国風」と言われる文化が豊かに花開く🌸
和歌とか、色彩も🍡
染色の材料とその分量が記載された文献もあって、染色技術の充実さand染色の需要について記録するのが必要だったんだって事がわかる🙆♀️
「かさね」の色。
男性➡︎服の表地・裏地の重色(かさねいろ)
女性➡︎重ね着による襲の色目(かさねのいろめ)※厳格な規定から外れた女性
季節や趣味でさまざまな色の組み合わせができる🌷🍦🌾⛄️
既存の色の中で、組み合わせで色彩を季節の花々のように楽しむ。。☺️
階級は衰退しても、このかさね色の文化は江戸まで続いた!
👘わび・さびと色彩
13世紀、日本に水墨画文化が入ってくる。
禅宗も入ってくる。
華美を排除した地味な色彩、のちに「わび」「さび」と言われる美意識が始まった🍵
とはいえ鮮やかで華やかな色彩が、同じ時代に併存していた日本🇯🇵
例えば金閣寺。金箔きらっきら。
そして狩野派による、金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)。金箔ベースに鮮やかな絵の具。
華やかからわびさびまで。。多彩な日本☺️
👘色彩の工夫
室町時代!代用の色が増える。
例)紫色。
蘇芳(すおう)を使った似せ紫。
蘇芳もいいけど臭い!となり、
クヌギの木を使った黒橡染め(くろつるばみぞめ)。
黒橡はもともと身分の低い人が着用してた色だけど、それを濃い紫として身分が高い人も身につけるように。
他にも色んな色彩が入ってきた時代。
ベロ藍など。
👘庶民の色彩と文化
江戸時代!蓼藍染め(たであいぞめ)が主流。コストが低かった。
奢侈禁止令(しゃしきんしれい)が出されていて、庶民の贅沢や華美な服がNG。。
➡︎ほんじゃあ地味な色でおしゃれしよ☆となり。
茶色や鼠色が多数登場!四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねず)と言われるほど。
団十郎茶(だんじゅうろうちゃ)や、芝翫茶(しかんちゃ)など、歌舞伎役者の着てた色が人気に。
絵の色材にもトレンドが。
幕府の絵には狩野派など高価な絵の具。
一方、浮世絵は庶民の文化。木版で、安価で大量に作られ、爆発的ヒット💥
「ベロ藍」は、平賀源内がベイレンブラーウと記した色で、ヨーロッパから輸入された合成顔料のプルシアンブルーのこと。
蓼藍より鮮やかで人気に。
この人気にあやかって、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)や、葛飾北斎がベロ藍を使い、海外の青が日本的な青!として流行した😆
■近代の日本の色彩■
🗼明治維新と色彩の近代化
明治維新により、
・新しい色材が多量に使われるように。(伝統工芸や日本画においても。)
・明るく鮮やかな色、淡い色の色彩表現が増加。
・油彩、水彩技法が入り、カタカナで読まれる西洋の色名も身近に。
🗼色彩論と教育
明治初期に「色図」が小学校であったが、むずかしすぎて下火に😇
水彩画ブームで、再びカリキュラムに。
欧米に学んだ白濱徴(しらはまあきら)の活躍で、日本にも先進の色彩教育が取り入れられるように🤗
西洋の絵の具など入ってきて、パステルやクレヨンも入ってきて、色名や技法も西洋のものが学ばれた。
こんな流れで私たちは色彩を学べてる🤔
明治末頃から。
その後和田三造さんなどに色彩標準化がされた。
🗼現代の日本の色彩
昔は草根木皮のような自然な色彩。
そこから外国からの色の輸入され、地味が好まれたり肌が好まれたり。色彩の意味も変わり。
そんな歴史があっての、今☺️
東洋の文化、西洋の文化が融合した特殊な色彩文化があるのが、今の日本の色彩🏯✨